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ゆめであえる

韓国映画「陪審員たち」

韓国映画「陪審員たち」を見た。

韓国は日本より早く2008年から重要な裁判へ陪審員制度を取入れている。

陪審員に応じるのは金銭目的で知識経験不足な人が多い
裁判が終わるまで隔離状態になるので陪審員たちの精神状態が悪化する
刑事裁判の証拠は残酷なものが多く精神的ストレスが大きい
裁判官たちが陪審員を素人扱いし尊重しない等

日本と似た課題があるよう。

映画では韓国初の陪審員裁判として
母親と娘と同居する男性が金銭面で困窮し
母親を殺害したとする刑事事件を
やり手の女性裁判官が8人の陪審員たちと裁く。

8人の陪審員たちは普段見る事のない刑事事件資料を見て
検察側と弁護側の主張を聞き
有罪か無罪かの判断をしなければいけない。

「全てお母さんのせいだ。だからお母さんを殺す」

という被告人の自供文面が裁判で読み上げられると、被告人は

「お前らがそう書けと言ったんだろう!」

と泣き叫びながら立ち上がり暴れ、その後身体拘束される。
この一場面で法廷中に

「あの精神状態なら殺して当然だ」

の空気が満ちる。

裁判も終わりに近づき
声の大きい若い会社員の陪審員が「有罪」を主張

陪審員全員一致で有罪へ結論付けようと主張し
早く終わらせたい他の陪審員も同意する。

「なぜ、法があると思いますか」
「犯罪者を罰するため?」
「犯罪者を不当に罰さないためです。
何の基準もなしに人を罰しちゃダメでしょう?
そのために法があります」

裁判が始まる前の裁判官との話を思い出した若い陪審員が
証拠を見直し無罪の可能性を探るよう主張

行われていない現場検証を行うことになる。

それまで有罪一色だった陪審員たちが一気に
「無罪」の可能性に沸き立つが現場検証の結果
有罪の可能性が強くなる。

現場検証の結果は有罪の可能性が強いが
他の証拠内容から陪審員たちは無罪を主張。

「疑わしきは被告人の利益に」

手元にあった本の表紙に刻まれた刑事裁判の原則を指で触り
裁判官は無罪判決を下した。

この映画で感じた点は数点。
陪審員制度はアジアでは難しいのは
そういう教育制度が無いから。

アメリカの大学1年生の時に受けた
「スピーチ」と「ディベート」の授業で

「自分の感情と意見、信仰は関係なく与えられた情報に基づき与えられた立場の主張を展開する」勉強をした。

最初の授業の後先生に
「自分の感情や意見と関係ない論理を広げるって、出来るんですか?」
と質問した。

「出来ます。アジアの生徒は特に難しいみたいね、文化だと思う。でもとても重要です」
と答えてくれた。

これが陪審員制度がアジアでは難しい理由のひとつだと思う。

刑事裁判というか、他人の不幸は一番の娯楽なんだとテレビを見る時によく感じる。

自分に被害の無い人間を罰する事でストレス解消をしているのか
自分より不幸な人間がいるという優越感なのか。

時間潰しにしては趣味が悪いと思うが
この手の娯楽はメディアに溢れている。

その娯楽の傍観者だったはずが参加者になった陪審員たちは興奮状態になると感じる。

強い刺激でことの意味と結末を理解する間もなく
「他人を罰する」エンターテインメントに興じるのは誰でも同じだと思う。

そして既視感を強く感じたのは被告人が

「お前らがそう書けって言ったんだろう!」

と叫ぶ場面。

被告人が自供文を書くよう強要された場面
彼の精神状態
その自供文が読み上げられた時の周囲の反応
そしてその結果。

全てがお約束通りで
刑事裁判にとどまらず
日常社会でもあまりに頻繁に目撃し過ぎた
絶望と諦め。

人間社会の常識と呼んでいい
碇石のような場面だった。

昔こんな話を何処かで見た。
旅人が小さな村を訪れる。
「この村は良い人ばかりだから警察が要らないんです」
旅人は答える
「それって、全部リンチで済ましているんじゃないですか?」

「犯罪者を不当に罰さないためです。
何の基準もなしに人を罰しちゃダメでしょう?
そのために法があります」

「疑わしきは被告人の利益に」

法廷の原則は誰もが知っている。
けど、無罪判決の数がその難しさを語る。

映画の最後

無罪判決のシーンは

ユートピアのようで

どうしても其処に行きたいけど

不可能な現実も知っている

まさに桃源郷のようだった。


by c-u-in-dreem | 2019-09-12 20:28 | 映画

美術館、ミュージカルの記録。

by c-u-in-dream
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